昨日学校からのかえり、たろさんとけろりこが一緒に歩いていると
けろりと同じクラスのOくんが同じ方向に帰りながら
たろさんに「おーい、小デブ、小デブ」と
呼びかけてきたんだそうだ
そんなふうに呼ばれて嬉しいはずもないのでシカトしていると
Oくんは調子にのって今度は傘でスネをたたいてくる
3年生相手に反撃するのも大人げないので
先を歩きはじめると今度は「デブ!大デブ!」と言いながら
傘で背中をつついてきた。
みかねたけろりが傘をつかんで引っ張り合いになり
けろりがぱっと手をはなすとOくんは尻餅をついた
Oくんはまだからんできそうだったので
2人で走って逃げてきたという。
Oくんてどんな子?とけろりにきくと、
授業では手をあげて発言するような優等生という。
たろさんは顔は知ってるものの話したこともないそうだ。
たろさんは小学校に入って4年の間に5回、
傘を壊されて買い換えてる恨みもあって
私はちょっと傘の事案は素通りできない
小学生なんてものは傘を振り回すものだが
言ってしまえば閉じた傘は棒であって
そういうものでひとを気軽につつくということが
「小学生は元気があっていいなあ」などと
ほほえましいものであるかのごとく
看過されるべきではないと思う。
けろりの担任S先生はたろさんの去年の担任だし
登場人物全員知ってるので、けろりの連絡帳に書いた。
そしてこの先生は、子供同士のトラブルのときに
すっごく対処が早い。
(去年たろさんがジョジョのキーホルダーを
クラスの子にとられたときも、すぐに対処して
とった子からとりかえして謝らせてくれたのもこの先生)
で、ここからは子供たちから聞いた伝聞。
今朝登校時、子供たちはまたOくんに会ったんだそうだ
そうしたらOくんはまたたろさんを「小デブ小デブ」と
呼んできたらしい。
登校して連絡帳を読んで先生はすぐOくんとけろりを呼んで状況確認をし
たろさんに謝らせるため連れてきた。
そこでもう一度状況確認をすると
Oくんは「小デブと呼んでない」と言い出した
「呼んだじゃない」とたろさんが反論すると
「小デブと呼んだんじゃない。コテフと言っただけ
犬の名前だ」と主張するOくん。
(小学生ってよくこういう、とうてい通用しそうもない
言い訳を一応言ってみるものよねえ)
S先生が「そんな名前があるわけないし、
樫野くんを犬の名前で呼ぶ理由がないでしょう」というと
「じゃあ(小デブと)呼んだ。けど、1回だけ」と話を変えるOくん
一旦たろさんへは謝ったんだけど、
「1回じゃないよね、今朝もそう呼んだのに」
とたろさんが反論すると
「じゃあ2回」とまた話がかわる。
ここへ来る前に「絶対に嘘を言わないでね」と先生に言われ
約束していたのに二転三転する話にとうとう先生の怒りが炸裂した。
「1回といったら悪かったことが軽くなると思うの?!」
「絶対に嘘を言わないでねって言ったのにまた嘘を言ってたの?」
Oくんに反省なしと見た先生は
「このお話はお母さんにもするからね」といって
3人での話は終わったそうだ。
私は今日けろりを早帰りさせて病院に連れていくために
午後に迎えに行ったんだけど
そのときに先生から報告をもらった。
親御さんにまで話しが行くときいて私は
正直「そこまでの話かな、傘ふりまわすのと
ひとに理由もなく悪態つくのやめろと
本人に言ってもらえればいいんだけど」と思ってしまったんだけど
S先生の目の前でそこまで話をコロコロ変えちゃったんでは
仕方がないね。
本人が本当に謝る気持ちがなくても
一応形の上で謝ればそれでよしとしてしまう先生も多い中、
S先生はそういうことを許さない。
本当に心のなかに反省の気持ちがあるのかどうか
口先だけの謝罪に意味はない、それがS先生のポリシーだから。
S先生との出会いはたろさんが4年のときだった。
6年の女の子たちから帰り道、たろさんが
「どうやって殺そうかな~?屋上からつきおとそうか?」
とかいってつきまとわれたことがある。
からかってるのは明白だけど自分より大柄な女の子2人に
ニヤニヤしながら追い回されたら私だってゾゾッとするかもしれない。
本人怖がって大泣きしてるので
学校に行って相談すると
その女の子たちの担任の先生がS先生だった。
正直その子たちとは帰り道が一緒なので
先生に言ったことで、後日逆恨みがあるんではと
心配していたんだけれど
翌日S先生と面談したところ、
「女の子たちとよく話し、心からの謝罪ができたと
思いましたので」と言われた。
はあ~、この先生はクチが謝ったかどうかじゃなくて
心で謝ったかどうかを見るんだ、と思ったんだよね。
S先生を知らなかったそのときは「心からの謝罪なんて、本当かしら」と
思わなかったかと言えば嘘になるけれど、
その子たちはその後たろさんにからむこともなく
たろさんもその子たちを見て怖がることもなく
顔が合えば挨拶するぐらいのふつうの顔見知りになった。
そうなんだよ。心だよ。
教師たるもの、心を見ないでどこを見て教え導くんだと。
S先生は30ぐらいの若い男性の先生なんだけど
私はほんとにこの先生を尊敬してる。
子供たちの心に自分の言葉が届くと信じてる。そこがいい。
話は飛ぶんだけどね
このまえPTAで校長先生を囲む会っていうのがあって
私その会を主催するPTAのメンバーだから参加したのよ
うちの学校の校長先生は昨年まで教頭先生で
前の校長先生が退職されたのと入れ替わりに校長になった
50代後半の女性の先生なんだよね。(でも黙ってたら
私より年下に見える美魔女。)
先生の子育ての経験なんかもまじえながら
教育観みたいのを聞かせてもらったんだけど
その話の中で、先生が
「最近はなんでも大人が介入して、小さいうちから子供のトラブルを
大人が解決してしまう傾向があるけれども、本当にそれでいいのか
そうやって大人が介入することで、子供たちが自分で
解決する能力を養う機会をうばっているんでは」
という持論を話されてた
こういう話は一見すごくもっともで、きいた瞬間はいつも
私は介入しすぎだったかなあって思うんだけど
「それって絶対裏面見てない」とも思うんだ
子供同士のトラブルなんて簡単に
両者の精神的な力や体力が互角で
やる方やられる方お互い様だという前提で言うけど
うちの子なんか、そもそもいじめだのいやがらせだの
する方じゃないから、大人が介入しなかったら
100%やられっぱなしよ?
最近でこそ少しは頼もしくなって、言い返したりも
するようになってきたけど
クチもたたない、体力もない、気も弱い、
これらある子はもう大人並みだっつーのに、
本人がいくらやる気出したって相手にされるわけないじゃん
子供には自分でトラブルを解決する能力が必ずあるから
それを信じて見守る、とか言うけどさ
たたかれまくって最下位が定位置になっちゃって
どうしても浮上できなくて死を選ぶ子とか
毎年百人単位でいるわけじゃん?
じゃあどこまで見守って、どこの時点で介入するの?
完全に自己肯定感なくなってからじゃ遅いんだけど
やる側の子はとがめられなかったら
やりたい放題なわけだよ
そういう子に、ひとを棒状のものでつつくとか
不愉快にさせる呼び方で呼ぶのは悪いことなんだ、
社会では許されないことなんだ
とがめられることなんだって
大人が教えなくてだれが教えんの
子供同士でトラブルを解決する力、なんていうのは
ごく限られた、力量のごく近い、迷惑かけるかけられる
バランスのとれたもの同士のトラブルにしか当てはまらない
むしろ特殊なケースの話だと思うよ。
同じクラスの中でだって力量の分布はすっごい広いんだから
S先生はこのあたり、迷いがない。
良い悪いは、教えてこそ身につく、っていう信念がある。
悪いことを悪いと叱って反省を引き出すなんてことができるのは
まだ心にピュアな部分がある小学生のうちだけだ
小さい頃「から」介入して交渉力を養う機会を奪ってるんじゃない
小さい頃「こそ」介入して、自分の中にある良心と
向き合う機会を与えるべきだ。
(まあウチも、たろさんがけろりみたいに誰とでもうまくやって
トラブルあっても翌日にひきずらない子だったら
ここまで考えなかったかもしれないけど)
ところで、
まあ、これは先生として言っていいことだったのかわからないけども、
話してるときに話を二転三転させて言い逃れしようとするOくんに先生が
「樫野くんは去年先生のクラスだったから
先生はこの子がどういう子かわかってるの!」と言ったんだって。
それって、かみくだくと「こっちの子はよく知ってて信用してるから
嘘を言ってるのは君に違いない」っていう意味だから
本当は言っちゃいけないひとことだったかもしれないんだけど
こういう、心のまっすぐさを見る先生から、
お墨付きの信頼をたろさんが得てるってことは
私は嬉しかったし、たろさんを誇らしく思った。
たろさんが教室に帰ったら、担任の先生から
「なにがあったのか教えてくれる?」と心配そうに聞かれたってさ。
それで、かくかくしかじかと説明したら
「あ~よかった、樫野さんが3年生をいじめて
叱られたのかと思っちゃった」って先生言ったって。
あはは、担任の先生のほうはまだまだたろさんのことわかってないな(>▽<)
まあこれは、冗談で言ったんだと思うけどね
しかし、学校では優等生で、帰り道に豹変しちゃう子って
どういうおうちの子なんだろうねえ
Oくんがこういうことをしましたって言われて
お母さんちゃんと問題意識感じられるひとかなあ
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