朝けろりが起きてきて
たろさんはけろりに(特に何のこととは言わず)謝った。
けろりは特段機嫌も悪くなく、いいよ、と言った。
そして、なんでかはわからないけど、昨日やぶられたやつじゃない、
自分のなけなしのアングリーバードのシールを出してたろさんにあげていた。
今日は朝から役員の件でNちゃんとE子ちゃんと
色々とすりあわせ。
私たちは直接は謝恩会にはタッチしないんだけれど
謝恩会って店でやる場合、時期が遅くなるととれなくなっちゃうから
かなり早くに謝恩会委員を決めないといけない
一昨年の役員さんに、いつ頃謝恩会委員を決めるのか、とかも聞いた。
例年、謝恩会は店でやってたんだけど、実はこの3月には
園のホールでやった。
その理由というのが、一昨年に会費が7000円とかになっちゃって
それが高すぎて参加できないっていう家庭があり、
ほかの子たちが謝恩会に行くため移動していくのに
その子だけ行けなくて泣いちゃったということがあって
それでホールで安くあがるようにやりましょう
それであれば園もある程度お金を出しますと言われて、
保護者の会費は500円で済んだんだって。
という話を私は去年の謝恩会委員のみ~くんのママから
聞いていたので、E子ちゃんに話そうとしたんだけど、
そしたら一昨年謝恩会委員をやっていたYちゃんのママが
いや、そんな家庭はいなかったハズだよとか
ひとりは親戚が来るからそっちと食事するという理由だったし
ひとりはママさんが外国人の方であまり話に加われなかったから・・・とか
遮っちゃって遮っちゃって話させてくれなくて難儀した。
ぶっちゃけその話の真偽は私は知らないんだけど
前の役員さんからそういう話があったんだから
話させてくれてもよくね?
たしかにその年は新しい園長先生が来られたばっかで
園長先生は謝恩会というものを知らなくて
実現にこぎつけるまでにすごく長いみちのりがあったので
否定的な話は聞きたくないというのもあるんだと思う。
だけど親子で2時間ほど飲み食いして7000円が
高いと思うのは普通の感覚だと思うし
企画してるひとに「高いから行けない」とは言いづらいのも当然のことでしょ?
その場にいたわけでもないのにそういう子がいなかった、と
言い切るのはどうかと思うんだけど・・・
そういえば「店で謝恩会をしたほうがいい」理由のひとつとして
今年はホールで手作りの謝恩会をやったために
子供たちを待たせているあいだ、先生たちが子供たちに
読み聞かせをしていたってことをA子ママさんが言ってた。
「ママさんたちが準備に追われて子供たちの世話ができず
先生の手をわずらわせたんじゃ『謝恩』にならなくない?(だからお店でやるべき)」
と言うんだけれど、それは飛躍で
子供たちを待たせる間に誰がどんな役割をするかを
考えておけばいいだけの話だと思う。
(A子さんは回転の速いひとなのでほんとは
飛躍してることはわかって言ってると思う)
ぶっちゃけ先生たちに感謝をすると言うけれど
先生たちから見れば謝恩会はママ対応であって
リラックスしてごはん食べられる場になろうとは思えない。
そして親から見たら店との打ち合わせもラクではないし7000円は高いし
私はさっぱりとホールでいいと思うんだけど
でもYちゃんママやA子さんには、それを言わせない雰囲気があるのよね。
謝恩会やるにあたり、場所を決めるのは役員の役目ではないけど
誰がたつかによってまた一悶着ありそうな気配。しんどいわ(--;
まあ、ひとついえることは、今年役員やっといてよかったよね
役員やってるひとは謝恩会委員までやれとは言われないから・・・
今日はK本くんが遊びに来た。
K本くんが帰ってからけろりが昼寝から起きてきて
自分のシール袋をのぞきこんで
「けろりはもうタララッタ(※)のシールはなくなった。
お兄ちゃんにあげちゃって、昨日やぶいちゃったから」
とつぶやいていた。
けろりの言い方に悲壮感はなく、事実を口にしただけ、という感じだった。
(※ アングリーバードという名前がおぼえられない頃、けろりは
アングリーバードのことを、ゲームのBGMのリズムで「タララッタ」と呼ぶようになり
今でもときどきそう呼んでいる)
だけどそれを聞いて、私のほうは、あのときと同じ気持ちがした。
震災後のジョムティエンでたろさんの浮き輪を
地元の子にあげちゃったあとにジョムティエン滞在を延ばすことになり
泳ぎに行ったらたろさんが
「浮き輪はあの子にもらわれちゃったからね・・・」
と言ったとき。
それから、パタヤのウィークエンドマーケットで
リモコンのアングリーバードを買ってあげずに帰ったら
「帰りに買ってくれるかとドキドキしたけど
買ってもらえなかった」とたろさんが言ったとき。
アングリーバードのシール、どこかで探してみるか(--;
たろさんには翌年リモコンのアングリーバードを買ってあげたけど
今でもあのときのせつなさは頭に刻まれている。
シールを探して買ってあげてもたぶん、今日のけろりの言葉は
ずっと私の頭に刻まれたままになるんだと思う。
罰だな。
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