たろさんは今日もフラフラするといいながら起きた。
けろりは今日も自転車のるんだ~とウッキウキ。
朝から図書館に行く予定だったので
けろりと私だけさきに出発してすこしサイクリングすることに。
といってもまだ滑り出しが安定しないけろりこなので
私は自転車のらず、先代ジョギングシューズ履いてでた。
そうしたところ、けろりはきのうよりずいぶんと
上手に走り出せるようになっていて
とくに障害物がないところでは
延々と安定して走り続けることができるため
競馬場の裏手なんかではずっと時速7キロぐらいで走り続け
私はそれに伴走して汗だくになった。
こんなことならジョギングウェア着てくればよかった。
競馬場の前側に回ると、レースに来たお客がぞろぞろ歩いていて
危険でしょうがなかった。
ああいうところにはおおむねすさんだおじさんたちが来ていると思ってたのだけど
ぶつかりそうになってすみませんというと
「大丈夫ですよ」とか「がんばって」とか
「じょうずだね」とか声をかけてくれるひとがほとんどで
ありがたかった。
あっそれで思い出したけど、昨日競輪場からの帰り
けろりとたいちゃんが競輪場前の歩道を走っていたら
けろりたちの姿を見るやジリジリジリジリベルを鳴らしながら来る
年の頃30前後、比較的美人ではあるがキッツイ顔したお姉さんがいて、
「あっヤバイ地雷が来た」、と思って止まらせようとしたんだけど間に合わず
けろりがよろよろよろっとお姉さんのほうによろけていってしまったら
すっげ~険しい顔してスピードも落とさず
「あ"あ"っ!」というか「ガウッ」というような声あげて威嚇して
通り過ぎていった。
子供にやさしいかどうかは、見かけや年齢や性別によらないのね
市役所の前で自転車を置いて図書館へ。
いつものタンタンのシリーズのほか、
たろさんが伝記ものを読んでみたいというので
チンギスハンと(たろさんモンゴル大好きだから)
ジョン万次郎と(つい先日、はじめてアメリカに行った日本人は誰か?って
話していて話題になった)
あとリンカーンがヒゲをはやした訳とかいう本を借りた。
ポテトのクーポンがあったのでマクドでポテトを買おうとしたら
まだ朝食の時間帯だったため
新作のヨーグルトシェイクだけ買って
たろさんが買いたいというストリートファイターの新作の値段を
ツタヤで調査し(→結局家に帰ってアップグレード版を
ダウンロード購入した。パッケージ版が3500円ぐらいして
アップグレード版は1500円ぐらいだった)
あおばに寄って1人1本までの安売りの牛乳を
1人1本ずつ、合計4本買って帰った。
けろりの伴走をジョギングと呼んでよいかわからないけれど
けろりこに合わせて走ったり止まったりなので
走ったのは実質3キロぐらいだったと思うけど結構疲れた。
帰ったら猛烈に眠くなっちゃって
お昼もつくらず寝てしまった。
昼寝から起きて、ほかに何もおもいつかず今日もスパゲティをゆでた。
パパさんはさきほどスーパーからの帰りほんのちょっとけろりに伴走しただけで
内股のスジをいためたし腕がしびれるし足がどうのこうのだしで
今日は走るのやめようかなと言っていたと思ったら
4時くらいに急にやっぱり走るかと言い出して
そのときまでにすっかり元気になっていたたろさんを誘って走りにいった。
たろさんは走り出してすぐにおなかが痛くなったらしいんだけど
パパさんは励ましもせずおなか揉んでもやらず
ただひたすらその場で待ってたら
諦めて走り出したと言っていた。
それか!いつも泣き言いいだしたら励ましたり叱ったり
かまいすぎなのかな
それで、近所を2周してきたのを見るかぎり
おなか痛いながらもちゃんと走ってたからたいしたもんだよ。
たろさんたちちょうど3キロ走り、そのあとちょっとだけ
ウォーキングして帰ってきた。
パパさんもあんな速度で汗も出ないだろうとか言っていたけど
帰ってきたらそこそこ汗も出てきていて
いい運動になったみたい。
運動不足のはずなのに、時速何キロか知らないけど
3キロぐらいらくらくと走ってみせるから憎らしいのよね
夜、パパさんが子供たちに本を読んでいたらパパさんの電話が鳴った。
北海道からで、おばさんの旦那さんが膵臓癌で亡くなったという。
それが、昨日や今日という話でなくもう10日も前のことだそう。
義両親はパパさんが大好きだったおじいちゃんが亡くなったときにもすぐに連絡をよこさず
ほかの誰とかのときにも連絡をよこさず
パパさんが火を噴くほど怒ったのを
電話ぐちで笑いながら「わかったわかった」と言って
数年間縁を切られた前科がある。
にもかかわらず今回また、前回、前々回同様、
義母が電話しようとしたら義父が「電話しなくてもいいべ」と止めて
今日に至ったんだと。
まあ北海道と関東じゃあ距離もあるし
色々心配させてもあれだからという配慮なんだろうけれど
子供自身が、そういうときは連絡してくれと
再三頼んでいるのになんでまたやるかな。
パパさん今回はケンカはしなかったようだけど
心底ゲンナリして
「これはもう期待するなということなのかな」とつぶやいていた。
ところで亡くなったおじさんというのは
北海道のお義母さんの妹と結婚していたひとで、
他人にだまされて連帯保証人にされたうえ
借金をすべてひっかぶせられたひとでもある。
お義母さんはおばさんから少しだけ、少しだけと頼まれて
何度も何度もお金を貸したが、もちろん返してはもらえていない。
最後には消費者金融で借金までしてお金を貸してしまったのがバレて
お父さんから保険証を含むあらゆる身分証をとりあげられている。
おじさんが亡くなったにあたり、おばさんはすべての相続を放棄して
いまは生活保護をもらっているそうだ。
おじさんはたしか学生向けの古いアパートを持っていたはずだけど
たぶんそれも放棄したことだろう。
おじさんのお兄さんのマンションが抵当に入っていて
迷惑はかけられないからと自己破産もできなかったと聞くけれど
そちらのほうはどうなったのかわからないし連絡もとれないらしい。
おばさんは天涯孤独(仮)なので、お葬式もせず
生活保護の担当者が焼き場等は世話をやいてくれて
いまは3万いくらの家賃のところに住んでいるけれど
2万5千円ぐらいのところに越しましょうねと言われているらしい。
義実家からはお香典2万円送ったそうだ。
実の姉妹でお香典2万円ってすごく少ない気がするが
そういう経過があったからやむを得ないことかもしれない。
私たちからはいくら送るか相談して
ネットで調べるとおじおばなら1~3万円とあった。
義実家の金額を上回るのも変だから同額の2万円ということにして
明日香典袋を買ってくることにした。
香典袋を送るにあたり、自分たちの住所書く?とパパさんから相談された。
実はパパさん独身時代におばさんからお金を貸してくれと頼まれていたことがある。
パパさんが振り込もうとしたら振り込めず結局貸すことはなかったんだけど。
お金といったらうちよりは大阪のお義兄さんとこのほうが
断然専門家だと思うけども、わりかしドライなお兄さんよりは
パパさんのほうが頼みやすかったんじゃないかと思う。
(お義兄さんとこにお願いが来てなかったかどうかは知らないけど)
お義兄さんの結婚式のときも、お義母さんたちが見てないとこで
亡くなったおじさんから「新巻鮭を送るから住所教えて」と言われたけど
式のドタバタもあって教えそこねて、そのままになっていた。
まあ、そういう経過があったし、パパさんもあえて教えてなかったんだと思う。
北海道の義実家のほうでも、うちに無心がいっちゃいけないと思って
あえて隠してくれていたんだと思う。
ここでいまカミングアウトする?
おばさんには子供がないし、身内といえばお義母さんと
2人の甥ぐらいのものだ。その甥に手紙ぐらい
書けるようにしてあげたほうがいいだろうか?
一応相続放棄しているから何もないとは思うし、
足の悪い、ほとんど北海道から出たこともないおばちゃんが
突然尋ねてくるということもないだろうし。
ただ、生活保護をもらったからといって十分な生活ができるわけはないし
もし生活保護の担当者が封筒なりハガキなり見つけて
お身内がいるならそちらを頼ってくださいなんて話に
ならないとも限らない。
申し訳ないけれど、気の毒だけれど
やっぱり北海道の住所書いて出すか・・・って話した。
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