3連休初日にたろさんと朝から走って
とにかくこの3連休に8キロは走ろう。
2回に分けて4キロずつ走るか
3キロと5キロに分けて走るか
たろさんが決めていいよといったら
3キロずつ3回走るのがいい3キロならラクだから
というから初日3キロ走ったの。
ほんで、なか日も3キロさあ走ろうと着替えたら
たろさんすごい咳が出ちゃって走れず
私だけ3キロ走ったのね。
3日めの今日は、おとうさんと5キロ走りなさいと思っていたら
朝からめっちゃ暑かったうえ
たろさんなんだか、ゆうべ8時半くらいには寝たというのに
8時くらいまで起きてこなくてね
どうやらちょっと調子が悪いみたいだと思って
結局走らせなかったわ。
ところで今日は幼稚園の同窓会。
小学生までの卒園生が集まって親睦を深め
卒園したての卒園生は卒園アルバムをもらえるの。
ママさんたちは、子どもたちを幼稚園に送ったあと
ロイホで集まってお茶しよう、って話になっていて
でも私はそのロイホで集まってお茶ってのが苦手でしょうがないので
今週の仕込みとかがあるしといって断った。
ところが台湾ママさんからお誘いがあったので
じゃあ2人でロイホを避けてお茶しようって約束をした。
約束をしていたうちの近所に最近できたおしゃれカフェは10時の時点で開いてなくて
台湾ママさんも連絡がなくて
私は結局一旦家に戻って連絡待っていたら
10時半くらいに階下にいますとLINEがきた。
事務のN子先生から話しかけられてなかなか抜けられなかったんだって。
結局VELOCEに行って
お母さんの亡くなった前後からの話をきいたんだけど
お母さん亡くなる直前はガンが骨にも転移していて
痛みがかなりひどかったんだって。
その痛みから解放されて、亡くなったあとはおだやかな顔で
日本でもあちらでも満足のいく見送りができたみたいで
聞いていたこっちも安心した。
それにしても不思議話が盛りだくさんだった。
亡くなってから火葬するまで何日かあったんだけど
おばあちゃんの「退院」祝いをするため
おじいちゃんと、エリさん一家で
おばあちゃんが食べたがっていたもんじゃやきのお店に行ったんだって。
まず遺体の安置してあるお寺?だかにまず迎えにいってお店に行き、
そして、お店のひとにもそう話したら「腕によりをかけて作ります」と
言ってもらい、おばあちゃんにもエリさんと旦那さんの席の間に
席を用意して、お皿やお箸もビールも用意して
あたかも生きたひとがそこにいるかのようにして食べたそう。
そして食事が終わった頃にお店のひとが何かのキャンペーンだかで
ポラロイドで写真をとってくれたら
白い影が映ったっていうんだよね
見せてもらったら、たしかに映ってるの
それも、パパさんとママさんの間じゃなくてね
おじいちゃんと娘ちゃんの間に映ってるんだよ
そりゃあ私と旦那の間になんか座りたいわけがない
お母さんらしいと言っていた。
その白い影っていうのは、まあ、言ってしまえば
フラッシュの光が壁の横木に反射しただけと
言って言えなくもないけれど
でもその光のせいでおじいちゃんの背中部分までぼやけちゃってて
ちょうど人間ぐらいの大きさだし、不思議といえば不思議なんだよね
その次の日には、おかあさんの好きだった天ぷらを食べさせてあげようといって
やっぱり安置所まで自転車で迎えにいき、
てんやに行って注文して、ちょっとおかあさんが食べるまで待って
「さ、もうおばあちゃん食べたと思うから食べよう」といって
食べ、また送っていったんだって。
なんか、そういうのもいいなと思った。
亡くなったひとに、亡くなるまえにしてあげられなかったことを
そういう形でしてあげることで、なんというか
送る側にも悔いがなくなるじゃない。
お別れの数日前も、どうしてあのときにそんな話をしたんだろうって
形見分けの話とか、思い出話をすることができて
お母さんがかわいがっていたいとこのお姉さんが
お見舞いにきてくれたちょうどそのときを待つようになくなったこととか
手配会社がすすめた納骨堂が気に入らなくて
いとこのお姉さんがお父さん(つまりお母さんのお兄さん)の
納骨堂にお墓参りに行ったらたまたま空きが出てて
大好きなお兄さんの近くに納骨してあげることができたこととか
いつも1号線を通って行くところを
たまたま2号線をとおって納骨堂に行ったら迷子になったんだけど
夜になって1号線は連続事故で大渋滞だったことがわかったとか
彼女によるとすべてが準備されていたかのようにスムーズだったそうだ
ところで、8月にはどうせ台湾に行くのに
今回急いで台湾に行ったのは、
台湾では旧暦7月のある日になると鬼界の門が開くといって
お盆のようなものなんだけれども、その期間には納骨ができないらしい
納骨が遅くなるのはよくないらしく、またその納骨する日取り、時間も
本人の誕生日などをもとに計算して決めるらしい。
それでどうしてもその週末に行かなければいけなかったんだって。
娘ちゃんを連れていくことは考えなかったの?と聞いたら、
娘ちゃんは大勢が集まってお経読んだり儀式があるのに
おとなしくしていられないし私も集中できない
娘ちゃんを連れていったら旦那もついてくる
旦那連れていったらあのひとの顔色伺いながら
いやなこと言われながらじゃとてもじゃないけど
お母さんのことを考えてあげられないからから
絶対連れていけないと思ったんだって。
それで、月曜と火曜はいま通ってる英語学童のスポット利用がとれたから
月曜だけ早く帰ってきて8時までに迎えにいってねと旦那に言ったら
だったら埼玉の両親を呼べというんだって。
土曜からいって火曜に帰ってくるまでのたった4日間行ってくるだけ
そのうちのたった1日迎えにいくだけのことを
なんで親頼まないといけないの
それも自分の亡くなった母と同い年の両親だよ?と怒っていた。
結局説得して、その日一日だけ早く帰って迎えに行ってもらえたというけど。
むこうにいって、親戚の年寄り連中で、なんで子どもがいるのに
連れてこないんだとか旦那が来ないのはなんでだとか言うひともいたらしい
だけど親戚のおじさんが、そういう年寄り連中にわけを話して、
理解してやってくれと頼んでくれたらしい。
ふつうならいちばんそういうことにうるさいおじさんが
味方をしてくれたことでエリさんもずいぶん救われたようだった。
むこうにいるあいだに、旦那さんの暴言や暴力の証拠をあつめた
音声をお姉さんとこに保存してもらうことができた?ときいたら
それはできなかった、だけど気づかれないようにしてるし大丈夫、と言っていた。
なんとおどろくことに、エリさんの旦那さんは
エリさんが台湾に行って戻ってこない計画を知らないんだって。
娘ちゃんに、ちゃんとした中国語を身につけさせるためには
絶対一年生は現地で受けさせなければならない
だけどパパさんはそのことは何度言ってもダメダメダメで、
エリさんはもう賛同を得るのは諦めて言うのをやめた。
言うのをやめたエリさんを見て、パパさんはおそらくその計画自体を
あきらめたと思ってるみたいらしい。
このまえも「(台湾には)いつ行くの?」というので
8月中旬かな、と言い、「で、いつ帰ってくんの?」というので
「9月ぐらいかな」と言ってあるんだって。
そこで「あちらの学校に行かせる」なんていったらまたもめるに決まってるからね
9月になって帰ってこないのがわかったら
絶対もめるけど、エリさんはもう覚悟ができてるみたいだった。
エリさんの希望としては平和的に話し合いたい
そして1年生をあちらで受けさせることだけは譲れない。
あちらで授業のある間は授業を受けさせて
あちらが休みになったらこちらに戻るというのがエリさんの希望。
だけどもし旦那が強硬な態度に出てきて、裁判だなんだといってくるなら
受けて立つし、
それでもし、旦那が娘ちゃんを渡せと言ってくるなら
渡そうかと思ってる、とエリさんは言った。
これまで一度も子育てをしたことがないあのひとが
たった一日のお迎えですらしぶるひとが
ひとよりずっと扱いのむずかしいあの娘ちゃんを育てられるわけがない
そのことを、亡くなったお母さんにも生前相談したし
今回帰ったときにも親戚のお姉さんやおばさんたちに相談したけど
みんな「一度渡してごらん」というんだって。
お母さんは「娘との絆は離れても切れないから大丈夫だ」と言ったって
それはお母さんとエリさんとの実感でもあり
血がつながらない、幼少期にほとんど一緒に暮らしたことのない親子だった
お母さんとエリさんですらそうだったのだから
おなかをいためてこれまでぶつかりあいながらも一緒に生きてきた
エリさんが、娘ちゃんの中から消えてしまうわけがない
必要になったら思い切って手放してみようとエリさんも思ったようだった。
旦那は負けずぎらいなひとだから
エリさんが自分の言うことを聞かずに台湾に居続けるとわかったら
最大のいやがらせをしてくるだろう
そしてそれはたぶん娘ちゃんを要求すること。
その要求をエリさんがこともなげに呑んだらどうする?
娘ちゃんをかかえて旦那はエッエッエッ?そんなはずじゃなかった、と思うはず。
どこかの時点で折れてくるか?
自分のしてきたことを反省するきっかけになるか?
妻に手をあげるような恥知らずは治らないだろうな
エリさんにたいして悪意の遺棄を主張してきたら
証拠が白日のもとにさらされる。
どのような形になるかわからないけど
エリさんが自由に羽根をのばして生きられる日が
早く来てほしい。
さてまだまだあるんだけど
不思議ばなしをいっぱい聞いていっぱいトリハダたっていたら
あっというまにお迎えの時間になり幼稚園に行った。
園庭で30分ばかし遊ばせて
20才年下のママ友モモちゃんの新しい赤ちゃん抱っこさせてもらった。
やはり幼稚園は落ち着くなあ。
12時をすぎると三々五々子どもたちと親たちは散っていって
私はエリさんと約束していたので子どもたちとガストに行った。
え~と。そのあとのことは全部忘れた。
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